2014年10月18日土曜日

ハロウィーン フランスの場合

「ハロウィーンのカボチャや仮装はアメリカのものだから、けしからん。」 というフランス人も、中にはいます。 また、ハロウィーンは、ケルトの祭りをキリスト教に取り込んだものという説が有力ですが、 「ハロウィーンはケルトの真似なんかじゃない、元々キリスト教の行事なのだ。」 という人さえいます。

フランス語でハロウィーンは「トゥーサン」。「全ての聖人」という意味で、 英語のハロウィーンのもとになったAll Hallows Eve (全ての聖人の前夜)とほぼ同じ意味。万聖節と訳され、キリスト教では聖人と死者を奉る日です。

学校は10月18日から11月3日までお休み。家族で旅行に出かけたり、親族に会いに行ったり、お墓参りをする人も多いようです。この期間、両親が働いている子供達は、祖父母の家に行ったり、休暇センターに通ったりします。

ケルトでは、秋に古い年が終わり、新しい年が始まりました。日本より北に位置するヨーロッパでは、この時期から昼がどんどん短くなり、夜が長くなります。夏は夜8時でもまだ明るいのに、冬は4時を過ぎるともう暗くなり始め、朝8時に家を出る時はまだ暗いということになります。

かつての農民にとって、ハロウィーンは最後の取り入れの時期。この後、春まで畑仕事はおしまい。ケルトの人々は、ごちそうを食べたり踊ったり、さまざまなゲームをして、秋の新年を祝いました。

カボチャ自体は当時のヨーロッパにはなかったのですから、確かにアメリカから来たわけです。でも、アメリカの習慣というものは、先住民の習慣でもないかぎり、やはりヨーロッパに根があるわけで、仮装行列をするとか、子供達が家々をまわってお菓子をもらうとか、アメリカ式ハロウィーンに似たものは、ヨーロッパのあちこちでかつて行われていたものです。

カブに穴を開けて顔を作り、蝋燭を立てるという習慣は、アイルランドだけではなく、フランスのブルターニュ地方やベルギーにもありました。だんだん夜が長くなる頃、ランタンを灯すのは楽しいものです。

8世紀か9世紀に、正式にカトリックのお祭りとして取り入れらたそうです。ローマ教皇によって日付が11月1日に決められたのもその頃。アメリカなどで子供たちが仮装をするのは、前夜の10月31日ですね。

カトリック教会では、ケルトの民のように楽しく踊ったりというのはなかったようで、教会でランプや蝋燭を灯したりしました。19世紀になると、お墓に菊を捧げる人が増え、この習慣は今もある程度残っているようです。

とはいえ、アメリカなどアングロサクソンの国から入って来たハロウィーンの行事を楽しむ人は、フランスでも増えています。ショーウィンドーにかぼちゃや魔女を飾る店もありますし、ハロウィーン・パーティーをする人もいます。

おとなしくしているのがいいとされてきたフランスの子供たちも、楽しむ機会が増えていいのでは。家々を巡ってお菓子を貰う、というのは、フランスではちょっと想像外ですが、そんなことをしなくても、工作をしたり、部屋を飾り付けたりして、十分ワクワクできます。カボチャと家にある端切れの他には、何もいらないのですから。

(写真はパリのパン屋さんのショーウィンドー)

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